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コラム

真実は通じる

数年前に、「勤務場所で段々取り残されるし、面白くないので、その職場を去りたい」と嘆いている人の相談にのった事があるんだ。だから僕は言ったんだ。「たとえ陽の当らぬ場所にあっても、常に、誠真実をつくす事が、良い展開への基礎なんだから、誠の心が大事だよ。」って。

このアドバイスが効いたのか、その後、顔には明るさが生れ、最近は、陽もさしかけているようなんだ。

僕たちの人生には、必ず陽の当る時と当らない時があるものだよね。うまく行かない時でも、与えられた仕事に、誠真実をつくす事が、事態を好転せしめる唯一の道だし、人の心を貫く道なんだよ。

まことというは、口と心と手と、この三つがそろうて、真のまことという。日々のすること、なす事が、口で話したことと違うから、世界から、それ、あの人は、口先ばかりうまい人や、いう言葉だけは、まことのようなれども、などと言うて、それ、話の理を用いてくれぬようになる。

そこで、口と心と、手と、そろうて人々より、ああ、なるほどの方やなあ、どうも感心な人やなあ、たのもしい人やなあ、と言われるであろう。

おやさまは、

「九月九日は、栗の節句と言うているが、栗の節句とは、苦が無くなるという事である。栗のイガは剛いものである。そのイガをとれば、中に皮があり、又渋がある。その皮なり渋をとれば、まことに味のよい実が出て来るで。人間も理を聞いて、イガや渋をとったら、心にうまい味わいを持つようになるのやで」と教えて下されているよね。

僕たちは、自分を振り返って、考えれば考える程、イガや渋が多いよね。

一つ一つこれを取り去って、神様の思いに近づくことが、成人の道であり、困難を切り開く道なんだよね。

たとえそれは、弱々しいように思われるかもしれないけど、結果的には、誠は、他を感化し、一家を睦まじく治め、広く世間に、親神様の理を映す事になるんだよね。

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