カテゴリー
コラム

かしもの

僕達の身体の中で血液はいつもグルグル循環しているよね。そして、回ってきた血液から栄養や酸素が細胞に配られ、細胞のいらぬ物は血液に返されるんだ。また血管のないところのリンパ液や、又は、脳や脊髄を保護する髄液も同じようにグルグルまわっているんだ。

.こんな感じで僕達の身体は本当に、神秘の扉の中につつまれているよね。

でも僕らって、自分の手、自分の足と考えるよね。でも本当に自分のものなら、身体は自分の思い通りになるはずだけどならない。自分のものなのに、指一本でも、ご守護がとまればどうなる? そう、自由がきかなくなるよね。

自分のものだけど、自分の思い通りにならない。ご守護あってこそ、自由になるこの身体を、親神様からのかりものと、教えられているよね。

身体のぬくみも、水気も、皮つなぎも、骨つっぱりも、飲んだり、食ったり、入ったり出したり、みな神様からのかりもの働きだよ。

親神様の思召しにそった使い方をしていれば、五体は健全なんだけど、思召に反する使い方をすると、病気が起ったり、不時災難にあったりするんだ。

人間って、自分の力で世渡りしていると思う我があるよね。だから、うまくゆかぬ時に、先案じしたり、あせり、もがいてしまうんだ。

そうじゃ無いよね。自分の力で達者になれないし、自分の腕で幸福にもなれない。思召しに添うと親神様のお力で、ベターにして下さる。どんな場合でも、ただ親神様の心にかなうようにつとめればOKなんだ。

人間は、自分の知恵や力によって生きているのではなく、親神様によってつくられ、生かしていただいているという事が、悟れたら、お互い、けっこうな身上をかしてもらい、色々考えたり、仕事をしたり、毎日を無事に暮らせることの有難さが身にしみてくるんだ。

そして、呼吸一つにも、しみじみとご守護を感じれて、生活が一変して、何でもよろこびの日々、感謝の日々、大きな安心につつまれた日々となって来るんだ。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です