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コラム

いんねん

みんなは、いんねんという言葉を聞くと、どんな印象を受けるかな?罰を与えられるとか、また恐怖の心を起こす人もいるみたいだね。

いんねんというは、前生ばかり、いんねんというやない。悪きばかりが、いんねんやない。この世でも、十五才よりこのかた、してきたことは、よきも、あしきも、皆いんねんとなる。又、前生よき事してあれば、いんねんとして、この世で現われるか、次の世で現われるか、必ず現われんということはない。あしきこともその通りなれど、よきいんねんは、皆一れつよろこぶ事ゆえにすぐと現わし、すぐとかやしてくだされる。

増井りんさんが、ソコヒのご守護をいただいて、おぢばへお参りした時、おやさまは、

「さあ〳〵一夜の間に目がつぶれたのやな。さあ〳〵いんねん、いんねん。神が引き寄せたのやで。ようきた。ようきた。」

と仰せられ、更に、

「神が用に使おうと思召す者は、どうしてなりと引き寄せるから、結構と思うて、これからどんな道もあるから、楽しんで通るよう。目の見えんのは、神様が目の向こうへ手を出してござるようなものにて、さあ、向こうは見えんと言うている。手をのけたら、すぐ見える。見えるであろう。さあ〳〵勇め、勇め、難儀しようと言うても、難儀するのやない程に。めん〳〵の心次第やで。」

心さえすっきりと掃除が出来るなら、どんないんねんが現われて来ても、それを静かに見つめ、何の不足も言わず、ただ自分の心をいましめて、導いて下さる親心を感謝し、常に満足する心となって通れば、日々に明るさが出て来るんだね。

とりあえず、何事につけ、「有難い」と、心を明るくしていれば、どんないんねんが現れてもも、それが皆、心のふしんの糧となって来るんだね。

これこそ、ゆるぎもない安住の境地、真にたすけていただいた姿なんでしょうね。

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