カテゴリー
コラム

おやさまが、いつも聞かせて下さったお話だよ。

「世界中、互いにたすけ合いするなら、末の案じも、危なきもない。奉公すれば、これは親方のものと思わず、陰日向なく、自分の事と思うてするのやで。秋にでも、今日はうっとしいと思うたら、自分のものやと思うて、むしろでもなんでも、始末せにゃならん。陰日向なく働き、人を助けて置くから、秋が来たら、襦袢をこしらえてやろう、何々してやろう、というようになってくる。こうなってくると、双方たすかる。同じ働きをしても、陰日向なく、自分の事と思うて働くから、あの人は、如才ない人であるから、あの人を雇うというようになってくる。こうなってくると、なんぼでも仕事がある」

親への孝心と、家業への丹精、この二つを心に治めて、実行するとどうなるでしょう?その土地所の手本雛形となれるんだ。それは、めいめいの喜びだけでなく、広くお道のにおいがけとなり、人々の心をも明るくして、どれだけ世の為になるか分からないよ。将来に、結構な徳を頂くことは間違いなしだよ。

僕たちがご先祖から、親から頂いた徳は、多ければ多いほど結構なことだよね。でも、気をつけてよ。これのみを、当てにしていては、いつしか、徳切れの姿となるんだ。だから、あくまで、先祖から、親からの徳は、プラスアルファの予備費として置いておいて、自らの徳は、自らの手で積んでおくべきなんだ。

おやさまは、山中こいそさんに、「目に見える徳ほしいか、目に見えん徳ほしいか、どちらやな」と仰いました。こいそさんは、「形あるものは、失うたり、盗られたりしますので、目に見えん徳いただきとうございます」と答えられた。

みんなそれぞれの活躍の場所はちがっても、人をたすける心に徹しきれば、目には見えないが、大きな徳となって身について来るんだ。

この徳こそ、たすけ一条の上に、また、社会における地位ともなり、財力となり、真の幸福につながって行くものなんだね。