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栄える家

明治十六年夏、大和一帯は、大干ばつでした。桝井伊三郎さんは、連日お屋敷へ詰めて、農事のお手伝いをしていました。すると、家から使いが来て、村では、田の水かいで、村中一人残らず出ているのに、伊三郎さんは、一寸も顔を出さぬ、といってやかましいから、一寸かえってほしい、と呼びに来ました。伊三郎さんは、この大干ばつに、お屋敷へたとい一杯の水でも入れさせてもらえば、こんなな結構なことはない。自分は満足しているが、このため隣近所の者に不足さしていては申し訳ない、と思い定め、おやさまの御前へご挨拶のため参上しました。

おやさまは、「上から雨が降らいでも、理さえあるならば、下からでも、水気を上げてやろう」と、お言葉をくださいました。

村へもどってみると、材中は、野井戸の水かいで、昼夜兼行の大騒動です。伊三郎さんは、女房のおさめさんと共に、田へ出て、夜おそくまで、水かいをしました。しかし、その水は、一滴も我が田へは入れず、人様の田ばかりへ入れました。そして、おさめさんは、かんろだいの近くの水溜りから、水をいただいて、それに我が家の水をまぜて、朝夕一度ずつ、更に二度、藁しべて、我が田の周囲へ置いてまわりました。

こうして数日後、夜の明け切らぬうちに、おさめさんが、我が田は、どうなっているかと、見回りに行きますと、不思議なことには、一杯入れた覚えのない我が田一面に、地中から水気が浮き上がっていました。

おさめさんは、改めて、おやさまのお言葉を思い出し、成程、仰せ通り間違いはないと、深く心に感銘しました。

その年の秋は、村中不作でありましたのに、柳井さんの家では、段に、一石六斗という収穫を与えていただきました。

これは、単に農事だけのご守護じゃないよね。

職業にかかわらず、常に人をたすける心で通る時、その真実は自ずと周りに色々な反響をよびおこすんだ。

そして、それは内々の家族のものにも映って、一家中は自然と仲むつまじくなり、一家に栄えを見せて頂けるんだよ。