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コラム

変わる人生

今の時代って金や物につつまれ不自由なさそうでも、毎日を孤独感にさいなされている人が実は案外多いものなんだ。

総てを解決してくれると信じていた金や物も、これのみでは、充実した人生ではなかったと言うことだよね。

裕福ではなくても、よき家族にとりかこまれながら、和やかに、食膳をかこむ楽しさに人生の何とも言えぬ喜びがあると思うんだ。

人間には、自分の力や金だけが唯一の頼りであり、自分の腕で世渡りしているという我があるんで、うまくゆかぬ時には、先案じてみたり、あせり、もがきもをするけど、これって実は無駄に近いと思うよ。

己が力、己が腕、己が知恵を、過信することは傲慢であり、あさはかな生活態度ってことだよね。

世間一般の生活と、お道の生活との大いな違いは、神様に生かせていただき、思召しに沿って、すべてを親神様におまかせするという姿勢だよ。それって、何だか弱く頼りないように映るかもしれないけどね。

おやさまは、

「大きな河に、橋杭のない橋がある。その橋を渡って行けば、宝の山に上って、結構なものを頂くことが出来る。

けれども、途中まで行くと、橋杭が無いから揺れる。そのために、中途からかえるから、宝を頂けぬ。

けれども、そこを一生懸命で、落ちないように渡って行くと、宝の山がある。

山の頂上に上れば、結構なものを頂けるが、途中でけわしい所があると、そこからかえるから、宝が頂けないのやで」

とお聞かせて下さっているよ。

心の芯を、何に求めるかによって、その人生は一変するよね。

親神様の教えは、自分のみの心を治め、清らかにしていれば、それでよいって事じゃないよね。

このよろこびを、更に他の人々に伝え、分かつことによって、他の人々の心を明るくし、たすけるところに、自ら、より高い人生となるって事だよね。