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コラム

おやさまの手足とは

おやさまの手足になるにはどうすればいいのだろう?

座骨神経痛のため自由を失い、激しい痛みにおそわれていた村上幸三郎さんの、おたすけいただいた感謝の気持ちは、しぜんと足をおぢばへ向かわした。

教祖にさっそくご恩返しの方法をお伺いしたところ、

「金や物でないで。救けてもらい嬉しいと思うなら、その喜びで、救けてほしいと願う人を助けて行く事がご恩返しやから、しっかりおたすけするように」

と仰せられた。

教祖の手足である僕達ようぼくのつとめは、人だすけだよね。

これは教会従事者だけのものじゃないよ。広く、全ようぼくが、これにふるい立つのが、成人の旬なんだ。

そして、親神様のご守護の理合い、ほこり、いんねんと、今一度思いかえすのが、その台となるんだ。

目を患う加見兵四郎さんが、片手には杖、片手は妻に引いてもらって、お屋敷へ帰って来た。

教祖は、まず、「さあ〳〵」と仰せあり、

それから総二時間にわたって、元初まりのお話を承った。その間の教祖のお声の大きさは、あたりの建具がピリピリと震動したほどであった。そのお言葉がすむや否や、はっと思うといつとなく、なんとなしに鮮やかとなり、帰宅してみると、長女の目も鮮やかにご守護頂いていた。

しかし、その後、兵四郎の目は、毎朝八時頃までというものは、ボーッとして遠目は少しもきかず、どう思案してもご利益ない故に、翌明治十九正月に、またおぢばへ帰って、お伺い願うと、「それはなあ、手引きがすんで、ためしがすまんのやで。ためしというのは、人救けたら我が身救かる、という。我が身思うてはならん。どうでも、人を救けたい。救かってもらいたい、という一心に取り直すなら、身上は鮮やかやで」とのお諭しを頂きました。

その後、兵四郎さんは、たすけに奔走するうちに、自分の身上もスッキリお救けいただかれたんだよ。

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