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コラム

真の陽気って何?

やあ、みんな。陽気って何だろう? お道では、明るく、勇んだ心、これを陽気と教えられるよね。飲んで、歌って、踊って、一時は心明るく勇みかもしれないけど、その後には、ほろ苦いものが残るんだよね。それは陽気じゃなしに沈んだ心だよね。

豊かな財宝にかこまれると、満ちたりた喜びにつつまれるかもしれない。そして更に豊かさを求めて、あくせくする。でも、その基である豊かさがなくなれば、明るかった心も、まっ暗になるよね。

みんな、こんな経験ない? ほしい、ほしいと思っていた物を、やっと手に入れたとするよ。当初は心も明るくうれしいよね。でもしばらくすると、あれほど喜んだ物にも欠陥が目立ちはじめる。こうして、手に入れた瞬間から、すでに空虚さが生まれてくるんだよね。

陽気というものは、こんなよろこびではありません。

真の陽気は、何の不安もなく、日々なってくる所、現われてくる理に、常に導いて下さきらむやがみさま打やごころよろこたことにちる親神様の親心を喜びつつ、更にこれを他に伝え、たすかってもらう事にいそしむ日々に、自らわれてくるものです。

ある日のこと、西浦弥平さんが、お屋敷からもどって、夜遅く就寝したところ、夜中に床下で、コトコトと音がする。「これは怪しい」と思って、そっと起きてのぞいてみると、一人の男が「アッ」と言って、闇の中へ逃げてしまった。後には、貴貴重な品々を包ん大風呂敷が残っていた。

弥平は、大層喜んで、その翌朝早速、お参りして、「お陰で、結構でございました」と、教祖に心からお礼申し上げた。すると、教祖は、

「ほしい人にもろてもろたら、もっと結構やないか」

と仰せになった。弥平さんは、そのお言葉に、深い感銘を覚えた、と伝えられます。

真の陽気へのヒントは、この辺にあると思うんだ。

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