中山コヨシさんが、夫重吉さんのお人好しを頼りなく思い、生家へかえろうと決心した途端、目が見えなくなられたんだ。それで、飯降おさとさんを通して伺うてもらうと、教祖は、
「コヨシはなあ、 先が見えんのや。そこを、よう諭してやっておくれ」
と、お言葉を下されたんだ。
これを承って、コヨシさんは、申し訳なさに、泣けるだけ泣いてお詫びした途端に、目が元通りハッキリ見えるようになったんだ。
さんげとは、真の心から、本当にそうであったと気付く喜びの心から出た、 さんげじゃないといけないんだ。
そして、ただ、悪かった、すまなかったと、言うだけではなく、その理をよく守って、親神様の仰せどおりに、通ることが大事なんだ。
そして、今日まで通ったお詫びだけではなしに、将来の心定めをする事もね。
心さえ、さんげして、立て替えたら、どんなものでも、皆たすける。これまでのことは、大難は小難として、皆ゆるしてやると、教えて下さっているんだ。
そしてもう一つ、さんげには、前生いんねんのさんげという事があるんだ。
いんねんの理は、世上世界にどんな事情も出してある。世上の理を見て、たんのうの理を始めるが、前生いんねんのさんげとも言う。
身上不足ある中に、たんのうは治められようまい。なれど、しんの心に、いんねんさんげという誠心治まるなら、こら受取らにゃならん。信しているのに、なぜやろうという心は出さんよう、ようききわけ。
実は、たんのうこそ、身に何の覚えもない前生いんねんのさんげです。
考えて見れば、僕たちって、日々のさんげに、追われるのが精一杯で、前生にまでは、なかなか心およばないよね。
思うんだけど、さんげって難しいと考えず、日々成ってくる理をたんのうして通っていれば、少しずついんねんは納消されていくってことだよね。