中山家のお手伝いに、おかのというちょっと垢抜けた女性がいたんだけど、夫様とこの女性の中はだんだん村のうわさの種となって来たんだ。
村の庄屋が、見かねて教祖に、いろいろこの事について進言した時、教祖は、「それはおそらくは、世人のかげうわさと思います。私は日常主人の側に居りますから、私の方が、その辺の見分けはたしかかと存じます」と仰せられているんだ。
庄屋は、ああ、中山の御新造はよく出来たお方や、普通であれば、若い身空で、夫の不行跡を見聞きすれば、怒り夫にせめ寄るか、嫉妬に狂うかであるのに、あの貞節さは、神も仏も及ばぬところと、心から感嘆したんだ。
教祖の、深く夫を愛し、厚く信じられる真心は、よく自省に徹せられ、かえって自分の不徳の致すところであるとさんげなされ、おかのに対しては、自分の不徳を補ってくれる者として、肉親の妹に向かうような慈しみの心をもって、接しられていたんだ。
二人の中は、だんだん公然たる態度となり、時々連立っては、名所見物に外出されるようになったんだ。こんな時にも、教祖は、少しも嫌な顔をされず、立派な自分の晴着を、おかのに着せ、櫛かんざしまでそろえて、その髪を結んでやられ、万端の準備を整えて、夫様を機嫌よく見送られたんだ。
おかのの増長は、遂に自分がその後室に座ろうとの邪念を起こし、ある時、教祖の味噂汁に毒薬を混ぜたんだ。教祖は顔面蒼白となられ、はげしく嘔吐下痢をなされたんだけど、お介抱が行届いて、間もなく正気づかれたんだ。教祖は、おかのの悪だくみということにお気付きなったんだけど、
「これは神や仏が、私のお腹を掃除をして下さったのです」 とその後も相変わらず、おかのに物優しく親しまれたんだ。流石の、おかのも、良心の苛責に堪えられなかったとみえ、ほどなく、自分から暇をもらってわが家に帰り、心改めて真人間となり、永く中山家へも出入りさせていただいたと、伝えられているんだ。
因縁よせて守護下さる夫婦は鏡の立て合わせと一緒とお聞かせ頂くよ。お互いに互いを見て、因縁の自覚と納消に心掛けることは大切な事だよね。