今は高齢化社会と呼ばれているよね。高齢化社会の定義は高齢化率が7%を超えた社会のことなんだって。現在の日本は、全人口の29%が65才の高齢者ということなんで、まさに超高齢化社会だよね。
そいでもって、二〇四〇年には、高齢者の割合が35%になるんだって。そうなると若者の高齢者を支える負担が大変なのは容易に想像できるよね。この前のニュースで今年の出生数がコロナなどの影響もあって初の80万人を割ったんだって、しかも今後も少子化が一層加速化するんじゃないかと専門家はいっているんだ。なんか心配になってくるニュースだよね。
日本の人口は減少しているけど、人口減少よりも、高齢者と若者の比率が極端なこの状況がとくに大きな社会問題なんだって。
まあその話は置いといて、そんな高齢者の老後の生きがいって何だろうね。
教祖はご老年に及んで後、時々仰せられたのは、
「わしは子供の時から、陰気なものやったで、人の中へは、ちょっともでる気にならなんだものやが、七十すぎてから、立って踊るようになりました」
これは、てをどりの始まった事をなんだけど、陽気に齢を重ねられるに比例して、教祖を慕う人々が急増しているんだよね。
人を助けたいというのに、なんぎ、くろうを、いとうているような事で、助けられようか。人を助けるというには、あぶない所も、なんぎな処も、苦労もいとわず、かからにゃならん。そうして、かかった処で、その心の誠を、おやさん受取って下さるからして、なんぎして、はてそうな所も助けて下さる、ちょうど、いばらの中も、ふち中もいとわず、人助けるなら、神様が自由用下されて、けが過ちもないけれども、自分ばかり、らくな道を通りたい、というて、大道のよい道通り、たまさか、ふと、小石にけつまずいて、けがしたり、道ばたの花に、心をうばわれて、ふみかぶったりするのも同じ事。
人は一代。名は末代。こうのうのこすで、名という。ひとりさんざい、だいきらい仰せられた。
豊かな人生経験を生かして、人を少しでも助ける積極性こそ、教祖の求められるお年寄りの歩方なんだと思うよ。