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コラム

ふしから芽がでる

教祖の百四十年祭が三年後に迫っているよね。ふしの大小を考えた時、教祖の御身をかくされた大ふしに勝るふしは無いよね。 

当時、教祖の御なきがらを何処に埋めさせて頂くかにつけて、いろいろ問題があったんだけど、古い衣を捨てるようなもの、とのお教えで、中山家代々の墓所に葬られる事になったんだよね。

その頃はお屋敷に対する警察の注意も、以前と少しも変らず激しいものがあったんだけど、何時しか一年の年月は流れて、再び思い出深い正月二十六日が回ってきたんだ。

お屋敷では、八方に気兼ねしながら、万事うちわに年祭をしようとの考えで準備がすすめられていたんだ。

そして、一年祭の祭典に取掛ろうと用意している時に、前年のお葬儀に世話をかけた大教会の方々から、我々を差し置いて勝手になさるとは筋違いであろうとの苦情がついたんだよね。もちろんつくすべき手段は充分してあったんだけど、今更難題を聞くとは心外な話だったんだ。

そして、教祖の一年祭の祭典がはじまり、祭詞があげられている最中のこと、九人の巡査がどかどかと踏みこんで来たんだ。そら来たと思われたんだけど、仕方ないよね。

その場は警察の思うがままに踏み荒されてしまい、大切な祭も中止の形となってしまい、更には墓参のため門を出ることも許さなかったんだ。

「はいはいと這い上がる道」とは、親神様が我々の道中心得として教えて下さった言葉です。どんなつらい思いがしても、人間心を抑えてゆくことは、先輩の方々の残して下さった道すがらなんだよね。

その言葉の様に、このふしから芽が出て、東京に於ける天理教会設置、そしてこれを地場へ移転と教会公認の道は着々と進んでいったんだ。

八十年祭をつとめ終えた翌年、四十二年十一月に二代真柱様お出しという大ふしに直面して、一時は茫然自失の体であったんだけれども、成って来た姿の中に限りない親神様、教祖の思召しを悟り、与えられたふしを生かして勇躍すれば、必ずお働きくだされると信じ、遮二無二通って来たのが今日の道であると、神一条のあり方を教えて下さっているんだ。

人間思案のしがらみに、僕たちはとかくとらえられがちだけど、常に神一条を心の定規として進むことが大切なんだね。

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