我々の人生は心の指針を何を基準にするかで進む航路は大きく変わっていくんだよね。この大海原を難なく渡るにはどうすればいいのだろうね。人生において、教祖は、どんな生き方をお望みなんだろうか。「今日は、麻と綿と木綿の話」をヒントに考えてみよう。
「麻はなあ、夏に着たら風通しがようて、肌につかんし、これ程涼しゅうてええものはないやろ。が、冬は寒うて着られん。夏だけのものや。三年も着ると色がくる。色がきてしもたら、他打ちはそれまでや。濃い色に染め直しても、色むらが出る。そうなったら、反故といっしょや。
絹は、羽織にしても着物にしても、上品でええなあ。買う時は高いけど、誰でも皆、ほしいもんや。でも、絹のような人になったら、あかんで。新しい間はええけど、一寸古うなったら、どうにもならん。そこへいくと、木綿は、どんな人でも使うている、ありきたりのものやが、これ程重宝で、使い道の広いものはない。冬は暖かいし、夏は、汗をかいても、よう吸い取る。
汚れたら、何遍でも洗濯が出来る。色があせたり、古うなって着られんようになったら、おしめにでも、雑巾にでも、わらじにでもなる。形が無うなるところまで使えるのが、木綿。木面のような心の人を、神様は、お望みになっているのやで」
と、お仕込み下さっています。
この逸話から思うに、教祖は、我々人間の生き方とは、奇をてらうことなく、華美にわたることなく、重厚、実直な心で、日々を送ることをお望みとだと思うんだ。
心にまことあれば、すまくたにいたかて、神が引き出すで、また、まんなかへ出て、どんどん、やっていても、さあという時に、ほっとくものもあるで、と聞かせられます。
心のまこと、身にあらわして、にちにちつみあげ、月々につみあげ、年々つみあげて、天然自然の道という。と教えて下さいます。
まことの心で、うまずたゆまず、つとめてゆくことが、よりよい結果を生む人生なんだよね。