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商売

おやさまは、商売のコツについて、富田伝次郎さんに、

「あんた、家業は何をなさる」

と、お尋ねになりました。それで、こんにゃく屋をしておりますと、お答えすると、 「商売人なら、高う買うて安う売りなはれや」 とおおせになっています。

ところが、どう考えても、「高う買うて、安う売る」の意味がわかりません。 そんな事をすると、損をして、商売が出来ないように思われて、当時お屋敷に居られ た先輩に尋ねたところ、先輩から、問屋から品物を仕入れる時には、問屋を倒さんよう、 泣かさんよう、比較的高う買うてやるのや。それを、今度お客さんに売る時には、利を低うして、比較的安う売ってあげるのや。そうすると、問屋も立ち、お客も喜ぶ。その理で、自分の店も立つ。これは、決して戻りを食うて損する事のない、共々に栄える理である。と諭されて初めて、なるほどと得心がいったと教えられています。

人並みよりは、よけい我が身につけたい。理にかなわなくても、人が許さなくとも、取れるだけは取りたい。

一つかみに無理なもうけ、不義な利益を得たい。

人をだまして理をかすめ、人目を盗んで、ます目、はかり目、尺目をかすめる。

そう、これはまさに欲のほこりだよね。

 こうした欲の心は、人並みに利をもらっていても、まだ不足に思い、いくらあっても結構と思えなくなっちゃうんだよね。

こうなると不足には不足の理がまわると言われるように、しじゅう思うようにならないね。よくの心が強くなると、一割の口銭が当たり前の商売でも、少しでも多くの口銭を取ろうとするようになってしまうんだ。

多くの人が苦しんでいる中でも、その機に乗じて暴利をむさぼろうとしてしまう。

自由のない国にあって自由を求めて戦い、国外追放になり、自由のある国へ移り住んだ著名な活動家が、自由主義国における自由の乱用にあきれ果てて警報を発しているんだ。多くの人を苦しめることになろうとも、自分の利益のためとあらば、いかなる商い取引にも応ずる実業家の自由を嘆いているんだ。

人をたすける心を常に基調とすれば、必ず商売は繁盛するから心配することは無いと思うんだけどね。

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信仰への歩み

みんな。唯物的世界観って知ってる?世界を構築しているものの根源は「物質」であるという考え方なんだ。そういう唯物論者からみたら、信心とは、年寄りの寝言ぐらいにしか思わないかもしれないね。それはそれで唯物的な考え方の信者といえるよね。

でもこのように世の中の出来事が簡単に割り切れるならば、こんな結構なことはないんだけど、理屈どおりに運ばないところに問題があるんだよね。

文久三年、桝井キクさん三十九才の時のことでした。夫の伊三郎さんが、ふとした風邪から喘息になり、それがなかなか直りません。キクさんは、それまでから、神信心の好きな方であったから、近くはもとより、二里三里の所にある詣り所、願い所で、足を運ばない所は、ほとんど無いくらいでした。けれども、どうしても直りません。

その時、隣家の矢野さんから、「おキクさん、あんたそんなにあっちこっちと信心が好きだったら、あの庄屋敷の神さんに一遍詣って来なさったら、どうやね」

とすすめられました。

目に見えない綱ででも、引き寄せられるような気がして、その足で、おちばへ駆け付けました。旬が来ていたのでしょう。

キクさんは、教祖にお目通りさせて頂くと、教祖は、

「待っていた、待っていた」と、可愛い我が子がはるばる帰って来たのを迎える、やさしい温かなお言葉を下さいました。それで、キクさんは、

「今日まで、あっちこっちと、詣り信心をしておりました」と、申し上げると、教祖は、

「あんた、あっちこっちとえらい遠回りをしておいでたんやなあ。おかしいなあ。ここへお出でたら、皆んなおいでになるのに」

と、おうせられてやさしくお笑いになりました。このお言葉を聞いて、「ほんに成る程、

これこそ本当の親や」と、なんとも言えぬ慕わしさが、キクさんの胸の底までしみわたり、強い感激に打たれた。と教えて下さいます。

教祖の教えは世間でよくある、あの世での幸せを祈る教えでもなければ、我々自身の罪をくいる教えでもないよね。この身のままで、この世において陽気ぐらしの出来る教えなんだよね。心一つの持ちようでこの世こそ、極楽世界であると、日々生を楽しむことのできる教えなんだよ。

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よりよい人生海路

我々の人生は心の指針を何を基準にするかで進む航路は大きく変わっていくんだよね。この大海原を難なく渡るにはどうすればいいのだろうね。人生において、教祖は、どんな生き方をお望みなんだろうか。「今日は、麻と綿と木綿の話」をヒントに考えてみよう。

「麻はなあ、夏に着たら風通しがようて、肌につかんし、これ程涼しゅうてええものはないやろ。が、冬は寒うて着られん。夏だけのものや。三年も着ると色がくる。色がきてしもたら、他打ちはそれまでや。濃い色に染め直しても、色むらが出る。そうなったら、反故といっしょや。

絹は、羽織にしても着物にしても、上品でええなあ。買う時は高いけど、誰でも皆、ほしいもんや。でも、絹のような人になったら、あかんで。新しい間はええけど、一寸古うなったら、どうにもならん。そこへいくと、木綿は、どんな人でも使うている、ありきたりのものやが、これ程重宝で、使い道の広いものはない。冬は暖かいし、夏は、汗をかいても、よう吸い取る。

汚れたら、何遍でも洗濯が出来る。色があせたり、古うなって着られんようになったら、おしめにでも、雑巾にでも、わらじにでもなる。形が無うなるところまで使えるのが、木綿。木面のような心の人を、神様は、お望みになっているのやで」

と、お仕込み下さっています。

この逸話から思うに、教祖は、我々人間の生き方とは、奇をてらうことなく、華美にわたることなく、重厚、実直な心で、日々を送ることをお望みとだと思うんだ。

心にまことあれば、すまくたにいたかて、神が引き出すで、また、まんなかへ出て、どんどん、やっていても、さあという時に、ほっとくものもあるで、と聞かせられます。

心のまこと、身にあらわして、にちにちつみあげ、月々につみあげ、年々つみあげて、天然自然の道という。と教えて下さいます。

まことの心で、うまずたゆまず、つとめてゆくことが、よりよい結果を生む人生なんだよね。

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よくの心

少しでも余計に身につけたい、あるが上にもほしい、貰うことはうれしく、出すことは嫌い。そうこれが、かなしいけいど人間の性だよね。

秋の柿の出盛りの旬でありました。桝井おさめさんは、教祖の御前に出さして頂いていました。柿が盆に載って御前に出ていました。

教祖が、その盆に載せてある柿をお取りになるのに、あちらから、又こちらから、いろいろに眺めておられます。その様子を見て、おさめさんは、教祖も、柿をお取りになるのに、やはりお選びになるのやなあ、と思って見ていました。ところが、お取りになったその柿は、一番悪いと思われる柿をお取りになったのでした。そして、後の残りの柿を載せた盆を、おさめさんの方へ押しやって、「さあ、おまはんも一つお上がり」とおおせになって柿を下さいました。

この教祖の様子を見て、おさめさんは、ほんに成る程、教祖もお選びになるが、教祖のお選びになるのは、我々人間どもの選ぶのとは違って、一番悪いのをお選りになる。これが教祖の親心や。子供にはうまそうなのを後に残して、これを食べさしてやりたい、という。

これが本当に教祖の親心や、と感じ入ったと伝えられています。利害や打算をこえて、人の喜んでもらえるよう、つとめることによって、陽気ぐらしへの道って開かれて行くものなんだろうね。

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なるほどの人

なるほどの人にはどうしたらなれるんだろう?

大和国永原村の岡本重治郎とその妻シナさんは、長男の熱病のお救けを頂いて、熱心に信心するようになりました。

近所の豪農から、長男が生まれたが、乳がなくて困っているので、何とか世話願えないだろうか、との依頼がありました。

その頃、あいにくシナさんは、お乳が出なくなっていたので、お断りしましたが、たっての事なので、思案に余って、すぐお屋敷に向って、おやさまにお目にかかってお伺いすると、

「金がなんぼあっても、又、米倉に米をなんば積み上げていても、すぐには子供に与えられん。人の子を預かって育ててやる程の大きなたすけはない」

と仰せになりました。その時シナさんは、よく分かりましたが、私は、もうお乳が出ないようになっておりますが、それでもお世話出来ましょうかと、更に伺いますと、

「世話さしてもらうという真実の心さえ持っていたら、与えは神の自由で、どんなにでも神が働く。案じることは要らんで」

とのお言葉をいただき、神様におもたれする心を定めて、お世話させて頂く旨の返事をいたしました。

月足らずの子供で、やせ衰えて、シナさんが抱き取ったが、乳は急に出るものではあり ません。

しかし、そうしているうちに、二、三日経つと不思議と乳が出るようになって来ました。 そのお陰で、預かり児は見る見るうちに元気になり、順調に育っていきました。

その後、シナさんが、丸々と太った預かり児を連れて、お屋敷へ帰らせて頂くと、おやさまは、その児を抱き上げ下されて、

「シナはん、善い事をしなはったなあ」

と、おねぎらい下さいました。

シナさんは、おやさまのお言葉にしたがって通るところに、親神様の自由自在をお見せ頂けるのだ、という事を、身に染みて体験しました。シナさんが二十六才の時のことであったとお教え下さいます。

「それ世界成程という。成程の者、成程の人というは、常に誠一つの理で自由という」とは、我々ようぼくの心の根幹だよね。

口と心と行いと、常に一致して、何でも救けさせて頂きたいとの、我を去り欲を忘れた心の人が、成程の人なんだろうね。

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夫婦和合

年老いた夫婦が、むつまじく、いたわり合う姿を端から見ると、ほほえましくも又、望ましい絵図だと感じ入るよね。でも、そこに至る道すがらには、いろいろの紆余曲折があると思うんだ。

もしかしたら、夫婦の間に、いざこざが起きて、互いににらみ合い、一日も二日も、物も言わないような事もあったかもしれない。

おやさまは妻のあり方について、

「どんな男でも、女房の口次第やで。阿呆やと、言われるような男でも、家にかえって、女房が、貴方おかえりなさい、と、丁寧に扱えば、世間の人も、わし等は、 阿呆やと言うけれども、女房が、ああやって、丁寧に扱っている所を見ると、あら偉いのやなあ、と言うやろう。亭主の偉くなるのも、阿呆になるのも、女房の一つやで」

と、教えてくださいます。

男性に対しても、

「あんたは、外ではなかなかやさしい付き合いの良い人であるが、我が家にかえって、女房の顔を見てガミガミ腹を立てて叱ることは、これは一番いかんことやで。それだけは、今後決してせんように」 と仰せられています。

先人の言葉より。

今までも、手を合わせて、おがむという事は、教えてあると仰有るが、今までの信心は、手を合わせるまでの信心で、その理がわからん。此の度は、その理を教えてくださる。どういう理なら、五本の指を合わせて、五分五分という。五分五分というは、夫婦の中も、互いにたてあうという理である。

それ、もちつ、もたれつ、たておうたら、たすかるにちがいない。

女房が夫を尻にしく、夫が女房だからというてふみつけにして、わがままをつのらすというようでは、立て合いではない。

いくら、手ばかり合わせておがんでも、なんにも、うけとる理はありゃせん。手を合わせる理の通り、日々心合わせて、五分五分に理を、立て合うという理がなくば、これ、信心にはなりゃせんで。

夫婦は、天地だき合わせの世界の、地と天とをかたどりてあると教えて頂くよね。

天は水、地は火、男は水、女は火、火がつのれば焼けねばならないし、水がつのれば物が腐るよね。大事なのは、いつも程よく五分と五分、これだと内々のむつまじさが現われて来るんだよね。

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ふしから芽がでる

教祖の百四十年祭が三年後に迫っているよね。ふしの大小を考えた時、教祖の御身をかくされた大ふしに勝るふしは無いよね。 

当時、教祖の御なきがらを何処に埋めさせて頂くかにつけて、いろいろ問題があったんだけど、古い衣を捨てるようなもの、とのお教えで、中山家代々の墓所に葬られる事になったんだよね。

その頃はお屋敷に対する警察の注意も、以前と少しも変らず激しいものがあったんだけど、何時しか一年の年月は流れて、再び思い出深い正月二十六日が回ってきたんだ。

お屋敷では、八方に気兼ねしながら、万事うちわに年祭をしようとの考えで準備がすすめられていたんだ。

そして、一年祭の祭典に取掛ろうと用意している時に、前年のお葬儀に世話をかけた大教会の方々から、我々を差し置いて勝手になさるとは筋違いであろうとの苦情がついたんだよね。もちろんつくすべき手段は充分してあったんだけど、今更難題を聞くとは心外な話だったんだ。

そして、教祖の一年祭の祭典がはじまり、祭詞があげられている最中のこと、九人の巡査がどかどかと踏みこんで来たんだ。そら来たと思われたんだけど、仕方ないよね。

その場は警察の思うがままに踏み荒されてしまい、大切な祭も中止の形となってしまい、更には墓参のため門を出ることも許さなかったんだ。

「はいはいと這い上がる道」とは、親神様が我々の道中心得として教えて下さった言葉です。どんなつらい思いがしても、人間心を抑えてゆくことは、先輩の方々の残して下さった道すがらなんだよね。

その言葉の様に、このふしから芽が出て、東京に於ける天理教会設置、そしてこれを地場へ移転と教会公認の道は着々と進んでいったんだ。

八十年祭をつとめ終えた翌年、四十二年十一月に二代真柱様お出しという大ふしに直面して、一時は茫然自失の体であったんだけれども、成って来た姿の中に限りない親神様、教祖の思召しを悟り、与えられたふしを生かして勇躍すれば、必ずお働きくだされると信じ、遮二無二通って来たのが今日の道であると、神一条のあり方を教えて下さっているんだ。

人間思案のしがらみに、僕たちはとかくとらえられがちだけど、常に神一条を心の定規として進むことが大切なんだね。

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高齢者の生きがい

今は高齢化社会と呼ばれているよね。高齢化社会の定義は高齢化率が7%を超えた社会のことなんだって。現在の日本は、全人口の29%が65才の高齢者ということなんで、まさに超高齢化社会だよね。

そいでもって、二〇四〇年には、高齢者の割合が35%になるんだって。そうなると若者の高齢者を支える負担が大変なのは容易に想像できるよね。この前のニュースで今年の出生数がコロナなどの影響もあって初の80万人を割ったんだって、しかも今後も少子化が一層加速化するんじゃないかと専門家はいっているんだ。なんか心配になってくるニュースだよね。

日本の人口は減少しているけど、人口減少よりも、高齢者と若者の比率が極端なこの状況がとくに大きな社会問題なんだって。

まあその話は置いといて、そんな高齢者の老後の生きがいって何だろうね。

教祖はご老年に及んで後、時々仰せられたのは、

「わしは子供の時から、陰気なものやったで、人の中へは、ちょっともでる気にならなんだものやが、七十すぎてから、立って踊るようになりました」

これは、てをどりの始まった事をなんだけど、陽気に齢を重ねられるに比例して、教祖を慕う人々が急増しているんだよね。

人を助けたいというのに、なんぎ、くろうを、いとうているような事で、助けられようか。人を助けるというには、あぶない所も、なんぎな処も、苦労もいとわず、かからにゃならん。そうして、かかった処で、その心の誠を、おやさん受取って下さるからして、なんぎして、はてそうな所も助けて下さる、ちょうど、いばらの中も、ふち中もいとわず、人助けるなら、神様が自由用下されて、けが過ちもないけれども、自分ばかり、らくな道を通りたい、というて、大道のよい道通り、たまさか、ふと、小石にけつまずいて、けがしたり、道ばたの花に、心をうばわれて、ふみかぶったりするのも同じ事。

人は一代。名は末代。こうのうのこすで、名という。ひとりさんざい、だいきらい仰せられた。

豊かな人生経験を生かして、人を少しでも助ける積極性こそ、教祖の求められるお年寄りの歩方なんだと思うよ。

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子供の反抗

我が子であれ、理の子であれ、子供可愛い一ぱいの親の心に、素直にそってくれる事が、何よりの親の願いだよね。

でも、親の思いと、子供の思いとのすれ違いから、とかくゴタゴタするのが世の常だよね。

元治元年(一八六四年)に始まった最初の神殿建築というべき勤め場所の普請にからみ、ちょっとした節がありました。すでに扇の伺いのお許しをいただいている人々が、五、六十人もありましたが、これを機として、すっきり寄りつかなくなってしまいました。

教祖は、少しもこれをお心にとめられず、

「わからん子供が、わからんのやない。親の教えが届かんのや、親の教えが末々までとどいたなら、子供の成人がわかるであろう」と思召して、より来た人には十遍でも二十遍でも、愛想つかさず、くり返し、くり返し、親切におとき聞かしてくださいました。

 長男であられる秀司様は、仰せ通りにすれば、教祖の身にご苦労が及ぶ、何とかこれを避けて通る道はないものかと、あれやこれやと心を砕き、思召しに沿わない手段も選ばれました。

最後にとられたのは、金剛山地福寺の配下となって、転輪王講社を作り、人々が自由に参拝する事も出来、教祖にも法が及ばないようにとの手だてでした。

明治十三年九月二十二日 転輪講社の開式の時、門前で大護摩を焚いていると、 教祖は、北の上段の間の東の六畳の間へ、赤衣をお召しになったままお出ましなされ、お座りになって、ちょっとの間、ニコニコとご覧くだされていたが、直ぐお居間へお引きとりになられました。

かねてから 地福寺への願い出については、「そんな事すれば、親神は退く」

とまで仰せになっていたんだ。けど、そのお言葉と 「たとい我が身がどうなっても」 一命を賭した秀二の真実とを思い合わせる時、教祖のご様子に、限りない親心の程がしのばれるんだよね。

しかし、教祖の思召しは、あくまで神一条への徹底であったと思うんだ。

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結婚

今回は結婚について談義してみようと思うんだ。

教祖の三女おはるさんと、櫟本村の梶本惣治郎さんとの縁談がまとまり、教祖は婿殿「心の美しいのを見て、やる」と、めでたく整いました。

仲むつまじく、子供たちも六人あげられましたが、最後の男子を、産むなり死ぬなりやったと言われますように、永眠されました。

教祖は、おこしになりましたが、御くやみも申されず、惣次郎さんのなげかれているのをご覧になって、おっしゃったのは、

「神様がな、のぞみ通りにしてやったのやで、嘆くことはあるまいがな。とおっしゃるで」と、繰り返し〳〵、お聞かせになったのです。

このわけは、前年、櫟本の祭礼がありまして、親族を招いて、酒盛りをされた時、些かの事で、客に不体裁になりましたところから、夫婦で、一寸、どうやこうやと、物言いをされた時、何分、一杯機嫌の時ですから、惣治郎さんが、言いすぎました。

「かじやの如きが、お地場の娘さんとは、性が合わん、勿体ない、いんでくれ」と申されました。

親族も居られた事ですから、中へ入って、まあまあと双方をなだめて、治まったのでしたが、神様のお話に「あいそづかしや、すてことば、切口上は、おくびにもだすやなで」と戒められたのは、ここの事で、いんでくれ、とおっしゃった言葉が、はしなくも、神様の受けとりなさるところとなって、神様の方へ引きとられて、のぞみ通りにしてやったでと、こうしたお言葉をいただかねばならんようになってしまった、と伝えられています。

考えてみよう。男女の間ではよくあるところだよね。

二人の人間が、身も心も一心同体となって社会生活を営むのが結婚だよね。それに至る道中として、恋愛中には、少しでも互いに自分をよく見せようとつとめるよね。とう言うことは互いの現実の姿を知るのは結婚後って事だよ。感激もあるかもしれない、また失望もあるかもしれない。見合いもまた同じで、結婚前に徹底的に相手を知る事は、いずれにしても難しい事みたいだね。

二人の相互理解、寛容、譲り合いがあってこそ、いつまでも幸福でいられるポイントなんだと思うよ。

夫が六で妻が四の場合、またその反対の場合、常に2人加えて、十と考える事が、天の配剤であるから、どっちがいくつ譲るかって事だよね。